投稿

5月, 2018の投稿を表示しています

日進月歩で環境整備!

イメージ
開館以降、苦心している作業の一つが、屋敷内の雑草・雑木・雑根刈り等の環境整備です。先日は、裏山回遊式庭園の外郭部分から、隠れていた高石垣が姿を現しました。波止浜湾を眺望する丘陵平坦部からは池も見つかり、広大な敷地に多くの仕掛けのあったことが分かりました。丘陵平坦部から眺める町並みと造船所の景色も最高です。 昭和初年に発行された波止浜の絵葉書に、上空から見た波止浜の町並み景観があります。八木亀三郎邸の屋敷は黄色で囲った辺りとなりますが、今ではその裏山の大半が竹林に覆われています。少しでも、往時の姿に近づけたいものです。

樺太丸の模型・復元画など

イメージ
八木亀三郎には、どうしても〝蟹工船の元祖〟というイメージを思い浮かべる人が多いように思います。そこで、株式会社八木本店が仕立てた蟹工船〝樺太(からふと)丸〟の模型と絵画を、展示資料として新たに拵(こしら)えることにしました。これには、『蟹工船興亡史』(凱風社)の著者・宇佐美昇三氏の協力をえて、模型(130分の1)は(有)佐藤船舶工芸の佐藤八郎氏、洋画は船舶海洋画家の野上隼夫氏に依頼をいたしました。   『日本汽船件名録』(大正15年)によると、樺太丸は1884(明治17)年にイタリアのサンピールダンナ造船所で建造された貨客船で、総トン数2818.70トン・船体長97.40メートル・船体幅11.64メートル・深さ8.33メートル・最大速力11ノット・船客定員53人の仕様でした。八木商店は、本船を中古船で購入し、貨物船として使用しました。日露戦争時は、陸軍の御用船として傭船(ようせん)され、物資や兵士を輸送したキャリアも持ちます。蟹工船として使用する際は、漁期前に造船所で艤装(ぎそう)工事を行い、艙内(そうない)(ホールド)に商品倉庫や漁師の寝室、40人が作業できる缶詰工場などが設けられました。   蟹工船での生活は、小林多喜二の小説『蟹工船』でよく知られるところですが、母船式蟹漁業は蟹工船だけで完結する漁業ではありませんでした。母船である蟹工船が漁場に到着する前に、先発の独航船があらかじめ網をしかけておきます。そこへ、後から到着した母船から〝川崎船〟と呼ばれる漁船が海へ降ろされ、漁師が網を引き揚げに向かいます。処女航海を行った蟹工船・樺太丸は、乗船した八木實通(まさやす)(亀三郎の長男)の手紙によると、1日で1万匹のタラバガニを水揚げしたようです。八木本店発行の「蟹缶詰工船絵葉書」には、川崎船が漁獲したカニの塊(かたまり)を、横づけした母船のデリック(クレーン)で甲板へ吊し上げる光景や、本船の甲板でカニを蒸す光景を確認することができます。母船には300名弱の乗組員がいたようですが、その多くが漁師でした。また、絵葉書には樺太丸・美福(びふく)丸以外に春海丸のという汽船が見られますが、この船は仲積船(なかづみせん)といって、母船と漁港とを中継する貨客船で、製品の缶詰や物資・人などをピストン輸送しました。 これらの蟹工船に関する模型・絵画・絵葉書・書籍などにつき...

八木商店本店資料館、2018年4月からオープン!

イメージ
「八木商店本店」は今治の実業家・八木亀三郎(1863~1938)が大正7年に建てた「八木商店」の本社兼邸宅です。総敷地面積1276坪(裏山回遊式庭園含む)、屋敷は床面積238坪の広大な和風建築で建築当初のままで保存されています。 建物の保存維持等を優先する関係上、団体客の入場はお断りをさせていただき、予約のお客様のみとさせていただきます。 入館料はお一人1,000円で土日・祝日は原則休館となります。 公式ホームページ  http://yagishoten-honten.jp/