投稿

2月, 2020の投稿を表示しています

愛媛出版文化賞大賞記念ガイド!

イメージ
このほど、今治G o! G o! ヒストリー塾主催の八木亀三郎邸ガイドが、雨降りしきる日曜日に特別開催されました。日曜・祝日は休館日の当館ですが、団体客の場合は要相談でガイドを引き受ける場合もあります。同塾は、塾長を大成経凡氏が務めることもあって、そのスタッフらが大賞受賞の記念ガイドをできないか提案があり、実施に踏み切りました。 当初は、ひっそりと 20 名ほどで〝ヒッソリー塾〟としての開講を目論みましたが、フリーマガジンでイベント情報を掲載したこともあり、定員を大きく上回ることとなりました。2つの班に分けたガイドも厳しく感じるほどでした。最終的には大広間の障子と襖を開け放ち、冒頭から 40 分ほど亀三郎翁の事績と旧宅の魅力を講演しました。その大広間では、かつて蟹工船の船員らが宴会を催したとも伝えられ、大勢の客人をもてなす空間であることが実感できました。 講演によって、参加者が旧宅の概要をつかめたところで、その後は 2 班に分けて鮭鱒工船「神武丸」の映像鑑賞と館内見学とを実施。カメラ女子が、ガラス戸や襖デザインなどに釘付けで、参加者からは感嘆の声が各所で漏れていました。これまで、同塾の講座に参加した中学生・大学生の参加もあり、初めて参加の小学生・高校生もいました。彼らの瞳は輝いていました。 ガイドが終わる頃には雨も上がり、希望者は中庭と丘陵を散策して2時間半の記念行事を終えることができました。同塾では今回の成果をもとに、再び季節を変えて八木亀三郎邸ガイドをできないか検討中です。定員を超えてお断りした方々もおり、再開が求められます。そのチャンスを、どうぞお見逃しなく!                                   大広間で講演① 大広間で講演② 千菊の間をガイド 中庭を散策

河東碧梧桐の葉書3点が語るもの

イメージ
今回は、著名な伊予の俳人である河東碧梧桐と亀三郎との接点を浮かびあがらせたいと思います。碧梧桐が亀三郎に宛てた 3 通の葉書を、八木本店旧蔵資料の中で見つけることができました。以下はその解読文となります(寺川仁氏の協力を仰ぐ)。 拝啓此度「碧」を発行します          二月中旬初刊 ①    御声援を願ひ升 別封御同好へ御配布を乞ふ        河東碧梧桐      蟹の子塩辛珍味此上 なく暑中晩酌の好下物 ②  拝謝々々    右 七月廿一日   河東碧梧桐    拝啓 突然に書 ( 出? ) ていろいろ御期待に 與り恐縮してゐます アノ蔵沢を一ケ月許り拝借出来 ③  ないものでせうか 東京の蔵沢信仰 者にも拝ませ度存じます 右何らの御返事を待つ次第です 乍略儀貴䑓より いづれもへ御■声をお 願い致します 碧梧桐といえば、高浜虚子とともに正岡子規の愛弟子の一人ですが、伝統俳句の王道を歩んだ虚子に対し、碧梧桐は自由律俳句の道を進みます。そんな碧梧桐が大正時代後期に 2 か年かけて刊行したのが個人雑誌『碧』ですが、彼の各種年譜からは、なぜか省かれている作品となります。初刊が大正 12 ( 1923 )年 2 月 15 日に刊行され、同 14 ( 1925 )年 2 月 15 日に刊行された第 19 号を終刊とします。 碧梧桐が、初刊の 案内① を亀三郎へ宛てたのは大正 12 年 1 月 26 日のことでした。 2 月中旬に初刊を発行するので、ご声援を願いたいと記し、興味のありそうな知人への配布もうながしております。葉書の表紙には『碧』発行所の住所・振替口座が記されることから、伊予を代表する実業家・亀三郎への定期購読・まとめ買いの期待がうかがえます。 では、押し売りともとれる依頼をするほど、両名は親しかったのでしょうか。それをうかがい知ることのできる葉書が、ほかの 2 点となります。ともに差出年は不詳ながら、1つはお中元で蟹の子や塩辛の珍味をいただいたことへの 礼状② です。蟹とあることから、八木本店が蟹工船を始めた大正 13 ( 1924 )年以降のことか。残りの1つは、〝...

次年度に向けた取り組み

イメージ
八木亀三郎の評伝出版という大きな目標を達成した今、次に取り組むべき課題は八木本店旧蔵資料のデータベース化です。これまでは、購入した時点の資料のかたまりに応じて品番をつけていたため、評伝執筆の際は関係資料の抽出に時間を要しました。資料の形態も封書・葉書・手帳・帳簿・賞状など様々で、分野でいうと東アジア交易(塩業含む)・軍事郵便・私信・感謝状・南洋貿易・島田元太郎・今治商業銀行・八木漁業・八木本店整理など多岐にわたります。かたまりによっては、各種分野が混在しているものもあり、新たな目録を作成して、一覧性を持たせたいと考えております。きっと、近代史研究の幅広い分野で活用できる情報が詰まっていることでしょう。希少な資料については写真も添え、「八木本店旧蔵資料目録」(非売品)として図書館や研究機関へ寄贈したい考えです。 早速、資料の一つを手にとったところ、大正 13 ( 1924 )年 2 月 11 日の国鉄今治駅開業にあたり、鉄道省が今治商業銀行頭取の亀三郎へ宛てた開業式典の案内状がありました。中味をよく見ると、この案内状は乗車優待券のようで、茶菓子のサービスもついてあります。この開業にあたって、市街の様子などを撮影した記念絵葉書が発行されておりますが、開通祝歌がつくられていたことも同資料によって分かります。楽譜・歌詞があるため、再現も可能でしょう。また、時刻表によって、当時の便数や今治・高松間の所要時間も分かります。 令和の現在、 2 月 11 日は国民の祝日「建国記念日」でありますが、当時は神武天皇(初代)の即位日にちなむ祝祭日「紀元節」でありました。これにあやかって、今治市が大正 9 ( 1920 )年の市制施行に選んだのが 2 月 11 日、今治駅の開業も 2 月 11 日となります。ということは、このほど今治市は、市制 100 周年というおめでたい年を迎えたということになりますね。大正 9 年の今治経済界は不況の真っただ中で、市制記念祝賀会は翌年に延期されたようです。今年は、どんな記念行事があるのか楽しみにしたいと思います。 国鉄今治駅開業のご案内 開業当初の時刻表 開業記念祝賀会次第 開業祝歌

よみがえる八木本家庭園(ビフォー・アフター)

イメージ
今から 11 年半ほど前の 2008 年 8 月、八木亀三郎旧宅が「風景づくりの学校」という催しで、地域に無料開放されたことがありました。その当時は、屋敷内に入れるという喜びが勝り、私は建物の価値を見通すところまでは力が及びませんでした。その時の写真をいま見返しておりますが、庭は松や雑木が茂り、暗い印象を受けます。写真に見られる松も、 2018 年に資料館が正式オープンした際は、枯れて切株になっているものが何本か確認できます。往時は、もっと多くの松が茂っていたのでしょう。 開館後に変わったことは、腐葉土で埋もれた石畳が浮かび上がり、雑草が減っていったこと。余計な雑木が少し減り、庭が明るくなって、庭石が個性を放ち始めたことです。昨年末から、丘陵庭園へのぼる石段斜面にも作業の手を入れ始めました。すると、埋もれていた腐葉土の奥から石垣 7 段が検出され、往時の姿が偲ばれるようになりました。堆積した腐葉土には、雑木が根を張っている状態です。 人によっては、「過去の催しで入館したので、改めてお金を払ってまで入館する必要もない」というご意見もあるようですが、庭が本来の輝きを放ち始めた今、 11 年半前とは違った風景がそこにはあります。室内装飾も、館主・藤高氏のご厚意で大正時代の雰囲気が醸し出されております。どこにもない景観やくつろぎがそこにはあり、八木亀三郎家族の思いが詰まっております。 亀三郎が亡くなった後、八木本店の負債を処理するため、ここは売りに出されたとされます。しかし、昨年 6 月にご来館した直系子孫の楢原太郎・陽子さんによれば、当時の八木本家は生活にも窮しておらず、急いで売る必要はなかったようです。亀三郎孫の千菊が一番そのことを悔やんでいたようで、なぜなら、千菊が〝千菊嬢〟として青春時代を過ごした良き想い出の詰まった場所が、この旧宅だったからです。 誰も住まない期間が 50 年ほど続き、その間に庭は荒れ果てていきました。雑木の落ち葉が雨樋を詰まらせ、建物の細部に傷みが生じたのもそのためです。それでも本体はしっかりしていて、藤高グループの維持管理で何とか現在があります。ただ、いつまでも藤高氏のご厚意に甘えるわけにもいかず、この旧宅を地域が誇る歴史文化遺産として保存活用する道を模索しなければなりません。その気になれば、 3 年前にこの建物は取...