よみがえる八木本家庭園(ビフォー・アフター)
今から11年半ほど前の2008年8月、八木亀三郎旧宅が「風景づくりの学校」という催しで、地域に無料開放されたことがありました。その当時は、屋敷内に入れるという喜びが勝り、私は建物の価値を見通すところまでは力が及びませんでした。その時の写真をいま見返しておりますが、庭は松や雑木が茂り、暗い印象を受けます。写真に見られる松も、2018年に資料館が正式オープンした際は、枯れて切株になっているものが何本か確認できます。往時は、もっと多くの松が茂っていたのでしょう。
開館後に変わったことは、腐葉土で埋もれた石畳が浮かび上がり、雑草が減っていったこと。余計な雑木が少し減り、庭が明るくなって、庭石が個性を放ち始めたことです。昨年末から、丘陵庭園へのぼる石段斜面にも作業の手を入れ始めました。すると、埋もれていた腐葉土の奥から石垣7段が検出され、往時の姿が偲ばれるようになりました。堆積した腐葉土には、雑木が根を張っている状態です。
人によっては、「過去の催しで入館したので、改めてお金を払ってまで入館する必要もない」というご意見もあるようですが、庭が本来の輝きを放ち始めた今、11年半前とは違った風景がそこにはあります。室内装飾も、館主・藤高氏のご厚意で大正時代の雰囲気が醸し出されております。どこにもない景観やくつろぎがそこにはあり、八木亀三郎家族の思いが詰まっております。
亀三郎が亡くなった後、八木本店の負債を処理するため、ここは売りに出されたとされます。しかし、昨年6月にご来館した直系子孫の楢原太郎・陽子さんによれば、当時の八木本家は生活にも窮しておらず、急いで売る必要はなかったようです。亀三郎孫の千菊が一番そのことを悔やんでいたようで、なぜなら、千菊が〝千菊嬢〟として青春時代を過ごした良き想い出の詰まった場所が、この旧宅だったからです。
誰も住まない期間が50年ほど続き、その間に庭は荒れ果てていきました。雑木の落ち葉が雨樋を詰まらせ、建物の細部に傷みが生じたのもそのためです。それでも本体はしっかりしていて、藤高グループの維持管理で何とか現在があります。ただ、いつまでも藤高氏のご厚意に甘えるわけにもいかず、この旧宅を地域が誇る歴史文化遺産として保存活用する道を模索しなければなりません。その気になれば、3年前にこの建物は取り壊されていたのです。
最近感じることは、八木亀三郎家族の魂が資料館に宿っているということです。実際、藤高豊文氏の尽力で、八木本店旧蔵資料は波止浜の地へ里帰りを果たすことがかないました。庭も往時に近づくなか、家族の魂もここにあって、資料館と地域の行く末を見守り続けてくれることでしょう。 大成経凡
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2020年2月の丘陵への石段
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2008年8月の丘陵への石段
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| 2008年8月の中庭石灯籠 |
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2016年9月の中庭石灯籠
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2020年2月の中庭石灯籠
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