八木本家によみがえった釘かくし
八木亀三郎旧宅の参観ガイドをしていて心もとないことは、立派なお屋敷にもかかわらず、釘かくしを消失していることです。この理由は、50年近く屋敷を閉め切っていた際に、泥棒に入られて悉く持ち去られたためです。さらに泥棒は、襖の引手のかざり金具にまで触手をのばしていました。
先日、旧八木分家にお住まいの石崎さんが来館し、その事情を知るや、同家に残る釘かくし9個をお譲りいただくことになりました。旧八木分家は、亀三郎長女・房廼の婿養子であった八木通重が住んでいた屋敷で、本町通りをはさんで亀三郎旧宅の向かいにあります。その座敷を拝見しましたが、亀三郎旧宅の余材で建てたといわれるだけあって、今では入手困難な建材が多く使われていました。
ところで、八木分家という言い方は、亀三郎の住む本宅を〝八木本家〟と称することで付けられた屋号となります。房廼は、明治42年に産後の肥立ちが悪くて病没し(長男も同年夭折)、明治40年生まれの長女・千菊は亀三郎夫妻が養育することになります。一方の通重は後妻を迎え、八木分家の屋敷で新しい家族との生活を営むようになったようです。
そうしたゆかりある旧家の釘かくしは、八木本家居住棟の座敷に設えることになりました。大工さんの力を借りて、それらを差し込んだとき〝画竜点睛のごとく〟引き締まった空気を感じました。まるで、屋敷に魂が宿ったかのようです。屋敷の保存活用は前途多難でありますが、きっと亀三郎夫妻、實通夫妻、千菊嬢が見守ってくれることでしょう。


